日々の出来事や想い。お家生活をおくる娘との日常など…。
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母がいなくなった日。
2010年07月23日 (金) | 編集 |
小学三年生の夏休み直前、母はわたしが「お兄ちゃん」と慕っていた男の人と一緒にいなくなりました。

その日、学校から帰ると在宅中だった父(マグロ船の漁師)が、母の置き手紙を手にうろうろしていました。
「お母さんがいなくなった」と、タンスや持ち物を調べたり、警察に届けなくてはと写真を探したり、すごい形相でした。
私にも、なにか知らないかと聞かれたような気がしますがよくは覚えていません。

実は私は「やっぱりな」と思ったのですが、それを父に悟られるのはマズイな…と感じていました。
父は、普段は非常に穏やかですがお酒を飲んだり、カッとしたりするとガラリと表情がかわります。
父に、私の感じている「やっぱりいなくなった」という思いを知られるということは、穏やかな父から、おそろしい父に変化させることだと思いました。

その日の朝、母と朝ごはんを食べているときに、母の様子がいつもと違うことに気づきました。
トーストを食べていたのですが、泣きそうでのどを通りませんでした。
でも、それもまた母に伝わらないように、パンを口に押し込むように食べていました。
母は、あごの下で手を組んで私のことをじっと見つめていました。
「なにかあるな」「これからなにか言うのかな」と、やっとの思いで泣くのをこらえ、パンを飲み込んでいました。

そろそろ食べ終えるかなというとき、母が「はなちゃん、ちゃんとご飯食べて…。お父さんのいうことをよくきいてね」と言いました。

なんでそんなことを言うの?とは思いませんでした。私はただ、「お母さん、いなくなるんだな」と感じました。

九才の誕生日の数日前のことでした。

はじめて、母のいない誕生日を過ごした切ない夏の思い出です。

切ない思い出だけど、悲しんで思い出しているわけではありません。

ちっちゃい私、普通の九才の私の気持ちをちゃんと感じてあげたくて書いてます。

ほんとは「行かないで」って母に言いたかったに違いないと。

行かないでと言えないにしても、泣きながら母にぎゅっと抱きつきたかっただろうな…と。

「さみしかったよね」って言ってあげたいと…今頃思っているところです。


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で、私、今日誕生日なんです。

無事にうんじゅううんさいの誕生日を迎え、母より長生きすることとなりました。



今年はなんとなーく実感がなく過ごしていたのですが、親友から素敵なプレゼントが届いたり、お祝いメールをもらったりして、なんだか「たんじょうびだわ」って気分になりました。

そういえば、昨日すぴ兄に「みみ、明日は何才ですか?」と聞かれ、「なんじゃそれは」とつぶやいたあと…「あー、それはおめでとうと言ってくれてるのかしら?」とまた二人でおかしな会話を楽しみました。

するとそこに、すぴが「おれって今、10才だっけ?」と。。。

えーと…と思っていると、「おめーは、11才だろっ」とすぴ兄にガツンと言われて「あらそう」とトボけていました(笑)



そして、今日はいつも仲良くしてもらっているミリわんさんの家族、ミリィちゃんの一周忌です。
会ったことのない、ミリわんさんとミリィちゃんだけど、私はミリィちゃんの亡くなった日を忘れずに過ごせることを大切なご縁に感じています。

実は、私の母の命日は、高校のときの親友の誕生日なんです。
友達に「なんだか悪いナァ」と思っていたのですが、友達は「はなちゃんのお母さんの命日を一生忘れずにいられる」と言ってくれました。

そして、私も友達の誕生日を忘れずに過ごしています。

「縁」って不思議なものですね。

「つながっている」っていいものですね。


スイレン



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「ファミリー・シークレット」を読んだ。
2010年07月14日 (水) | 編集 |
ここに、読んだ本について書くことはあまりないのですが、少し前に「ファミリー・シークレット」(柳美里 著)という本を読みました。
この人の本は初めてなんですが、新聞の本の紹介コーナーでちょっと目に止まって読んでみたんです。

著者は、嘘をつく息子をひどい言葉で罵り、手をあげます。
その嘘は、よくそこまで嘘がつけるなぁという嘘で、周りの人にも迷惑をかけている。
著者はそれがどうしても許せず、感情をむきだしにしてしまうのです。
もしも誰かの目に止まり、通報されれば子どもを連れていかれるかもしれないほどの自分の行動。
したくないのに、どうしてもわが子と適切な距離を保つことが出来ずに、自分を止められなくなる。

なぜ、息子は嘘をつくのか?
なぜ適切な距離で息子と関わることが出来ないのか?

向き合いたくない過去の自分と向き合わなければ…と、臨床心理士とのカウンセリングを始めます。



私は、このカウンセリングの中身に関心がありました。

著者は、子供時代に父親からしつけという名目でひどい虐待を受けていました。
まぁ、それだけでなく、壮絶な体験が書き綴られていますが。

カウンセラーは、父親だけじゃなく、「あなたは、お母さんからも虐待を受けていたんです」と言い切ります。

著者は、それに関して、そうだとしても、母にも事情があっただろうし…母はかわいそうな人で…というのですが、カウンセラーは、「それは幼い美里ちゃんの気持ちではありません」とはっきり言うんです。幼い美里ちゃんの気持ちはどこかに置き去りにされているのだと。



著者の、この母親への感情というのが私と似ていると思いました。
物心ついたときから、両親は不仲でした。
というか、母がとにかく父親を嫌っていた。
母に言わせれば、父親が許されないことをしたからだということになるかもしれませんが。

母は、離婚する前から、自分の持ち物に書いてある名前の苗字を見えなくなるように真っ黒に塗りつぶし、結婚前の苗字に書き直していました。

それを見て、私もマネをしたことを覚えています。

母のお友達は、会うたびに「あなたのお母さんはお父さんと会わなければ幸せになれたのに」といい、私はそれを聞くたびに「私はいないほうがよかった」のだと思うようになっていました。

私がいるから、母は自由になれない。

私がいなければ、とっくに離婚して母は自由になれるのに。

母に迷惑をかけてはいけない、いい子でいなければならない。

なにをするのも、基準は「母のため」で、自分の未来や自分の思いを優先したことは少ない。

母が幸せになるように。

母の幸せを一番に…と考えていたんです。

母は、父と出会い不幸せになったかわいそうな人だから。



すぴは、もう私よりも身体は大きくなったけれど、いまだにべったりと甘えてきます。「甘えたいの」「不安なの」と食事中でさえ、私の手を握っていたりもします。

よしよしと頭を撫でると、「もっと撫でて」というまなざしを私に向けます。


うちには、うさぎのカフェがいますが、すぴやカフェをよしよしと撫でていると「私もこうして欲しかった」という思いがわいてくるんです。

「甘えたいのね」「甘えん坊ね」といわれながら、甘えさせて欲しかったと…。

私は、甘えられなかった。褒められなかった。抱きしめてもらえなかった。よしよしと撫でてもらえなかった。どんなに頑張っても「もっともっと」と粗探しをされ、「よくやった」と言われることはなかった。

母のお友達が「はなちゃんは、お勉強も出来て、こんなにいい子に育って」という時だけは、母は満足そうに笑っていた。

それでも、まだ足りなさそうだった。



私は、母が大好きでした。
亡くなったいまも、もちろん大好きです。

母の娘でよかったと思っています。

ただ、柳さんのように壮絶な子供時代はおくっていないけれど、読みながら「私も、幼い私をどこかに置き去りにしている」と思わずにはいられませんでした。

子供なのに、大人だったような気がする。

子供の自分は、なにかに押し込めてきっちり蓋をし、どこかに置いてきたような。

それを開けたら、母を嫌いになりそうで怖い。



でも。

この本の感想はともかく、読み終えたあと、どこかに置いてきた自分を探してあげたくなりました。

置き去りにした幼い私に「ちゃんと気づいたからね」と言ってあげたい。

「確かにいたんだよ」と言ってあげたいナ。ちっちゃい私に。言えるかナ。



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母は、バラ。私は野に咲く目立たない花。だと思う。


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